桜の出会い
今年は家の近くも職場の近くも桜並木があり、毎日毎日桜を眺めた。友人と遊ぶ際も桜を眺め、桜づくしの春だった。
桜といえば、わたしは女三の宮と柏木の出会いを思い出す。
桜が満開の中、女三の宮の邸の庭で蹴鞠をする柏木たち。たまたま、猫が御簾を巻き上げ中に入り、端に寄っていた女三の宮の姿が露わになるとき、柏木はその姿を見てしまい、恋に落ちる。
はじめてこの若菜を読んだとき、えー…軽くないかな二人とも?とあまり面白みを感じなかったし、女三の宮のことを全く好きになれなかった。
しかし、いま考えてみると、恋愛期間中女性の顔を全く見れない男性からしたら、桜吹雪の中ちらりとみえるその姿、チラリズムと演出性にやられる気がする…
女性からしたら、今まで猛烈なアタックなどうけたことなく、父の言う通り言う通りに生きてきて、強引かつこれからのわたしどーなるのかしら…!なドキドキにやられる気がする…
つまり二人はよくある「学園祭マジック」とか「花火マジック」とか、そういった若い頃によくある演出ありきの燃え上がりだったのではないだろうか?と思う。
日本版ロミオとジュリエット。
もちろん、それだけではないのだろうけど、タイミング、演出、そして溢れる若さゆえの恋愛。いわゆる恋愛。
そりゃあ、今見てもこんなに美しいんだから、もっと美しく映っていただろうなぁ、と、平安時代に想いを馳せる。
桜は始まりとともに、終わりに向かう象徴のように思う。女三の宮と柏木も、恋すると同時に終わりへ向かって行く。
憎いのは、女三の宮が柏木に対して恐れを抱いていることだ。瞬間的なドキドキから目覚めてしまってからは、もうなにも輝かない。
女三の宮の桜は、静かに散り積もっていた。